技の伝習には、系統的かつ段階的な教授をなしえる、すぐれた指導者の存在が不可欠です。そうした師弟関係のなかでこそ、言語文章では説明できないであろう運動感覚の交信がなされ、技術伝承の可能性が生まれるのです。
さらに形というものが技法の軸であるように、道徳は道を生きるうえでの指針となるものです。教える者と、教えを受ける者とが、おのれを自省自覚して人格的に学び合うという姿勢が大切になります。
私達は、先人の英知を学びながら、自らも工夫して技量を高めていくことで、空手の道を極めてゆかねばなりません。明治天皇の御製に「世の中の人のかがみとなる人の多くいでなむ わが日の本に」とあります。
祖先の偉業、歴史上の人物から多くの有益な指針を学び、見習うことで空手を体得する幅が無限に広がることでしょう。
道場だけが学びの場ではありませんが、さりとて道場から始まらない空手というのもありえません。生き方の手本として、光武会館の空手はありたいと念じています。