理念

空手を学ぶということ

 

空手を体得するには、長い時を必要とし、そこに近道はありません。
探究心と柔軟な思考、健全な身体を育みながら、正しく技法を理解して、なお鍛練を続けることが、体得に到る唯一の道なのです。
真摯にとりくむ姿勢、自らおぼえる自得精神、これらは技法を習得する重要な要素として道の基本であります。
しかしながら、何ら知識も持たない人が、ひとり空手を自得しようとしても、いたずらに困難であるばかりか、正道を踏み外すおそれさえあります。
技法には段階があり、ふさわしい人格の形成が伴わなければなりません。
ここに道場の存在意義があります。

技の伝習には、系統的かつ段階的な教授をなしえる、すぐれた指導者の存在が不可欠です。そうした師弟関係のなかでこそ、言語文章では説明できないであろう運動感覚の交信がなされ、技術伝承の可能性が生まれるのです。
さらに形というものが技法の軸であるように、道徳は道を生きるうえでの指針となるものです。教える者と、教えを受ける者とが、おのれを自省自覚して人格的に学び合うという姿勢が大切になります。

私達は、先人の英知を学びながら、自らも工夫して技量を高めていくことで、空手の道を極めてゆかねばなりません。明治天皇の御製に「世の中の人のかがみとなる人の多くいでなむ わが日の本に」とあります。
祖先の偉業、歴史上の人物から多くの有益な指針を学び、見習うことで空手を体得する幅が無限に広がることでしょう。
道場だけが学びの場ではありませんが、さりとて道場から始まらない空手というのもありえません。生き方の手本として、光武会館の空手はありたいと念じています。

光武会館 田上 信也