道場訓

1.去稚心

 

稚心とはおさな心、子供じみた心のこと毎日怠けて、安楽なことばかり追いかけて、勉強や稽古をおろそかにし
いつでも父や母に寄りかかって自分では何もせずに、父や師にしかられるのを嫌って、常に母の陰に隠れて甘えるなどといったことは、すべて稚心から生ずるのである。
幼いころは強いて責めるほどのこともないが、十三、十四歳に成長し自ら学問に志す年齢になってこの心が残っていたら、何をしても上達せず、大人物となることはできない。
立派な大人の仲間入りをするために第一番に稚心を去らねばならぬと考える。
2.振気

 

気とは、人に負けまいと思う心、すなわち負けじ魂と恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである。
振うとは、常にそうした心をもって、その精神を振るいたて、振るい起し、絶えず緊張を緩めず、油断のないよう努力することである。この気というものは、生命のあるものはみな備えているものであって鳥や獣でさえもっている。富や出世の誘惑があってもいかなる困難に直面しても決して信念や節義をかえない大剛強の気象を持っているから、人々はその意気に感動しその勇気を賞讃して尊敬するのである。
3.立志

 

自分の心の向かい赴くところをしっかり決定し、一度こうと決心したからには素直にその方向を目指して、絶えず決心を失わぬよう努力することである。志というものは、書物を読んだことによって、大いに悟るところがあるとか。先生や友人の教えによるとか、自身が困難にぶつかり発憤して奮い立ったりして、そこから立ち定まるものである。努力せずに、心がたるんでいる状態ではとても立つものではない、いつまでたっても少しの向上もないが、志が立って目標が定まるとそれから日に日に努力を重ね成長を続けるもので、まるで芽を出した草に肥料の効いた土地を与えたようになる。
4.勉学

 

学とは習うことで、すぐれた人物の立派な行いを習い、自らもそれを実行していくことをいう。
勉、つとめるということは自己の力を出し尽くし、目的を達するまではどこまでも続けるという意味あいを含んでいる。ましてや、武道も学問も、物事の道理と道筋を解釈し、明らかにするものであるから軽々しく粗雑なやり方ではいつまでたっても真の道理は理解できず、世の中の実際に役立つ武道、学問とはなりえない。
5.択交友

 

友人には損友と益友とがある。友人の中に損友がいたら、自分の力でその人のよくない面を正しい方向へ導いてやらねばならない。益友と称すべき人に会ったら自分の方から交際を求め何をおいても大切にすべきである。遊興への誘惑に負けぬ強い意志を持ち、心安く馴れ合いすぎてわが道義心を汚すことのないように、注意しなければならない。益友を見定めるには、その人物の厳格で意志が強く正しいか、温和で人情厚く誠実あり果断であるか、才智が冴えわたっているか、小事にこだわらずに、度量が広いかという五つの点を目当てにすればよい、こうした人物は、いずれも交際する上では気遣いが多く、付き合いづらいものである反対に損友は他人に媚へつらい、小利口で落ち着きがなく軽々しくいい加減な性質のものである。聖賢、豪傑になろうと志すほどの人物は友人を選ぶにあたって厳しい目を持たねばならない。

注:橋本景岳(左内) 啓発録より 判 五十嗣朗先生 訳注より抜粋したものです。